まるバツのお城

つれづれ出来事やネコ話、読書感想文など。また現在のはまりもののお絵かきなどもときどきアップしたいと思っています。

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高杉晋作をおっかけて萩~下関の旅 その2

旅行記の続きです。
もうだいぶ経ってしまったので記憶が薄れちゃうよ(汗)
ちなみに撮ってきた写真の一部を保存・鑑賞用にちゃんと現像にも出そうかと思ったのですが、あまりの膨大さに唖然、給料後まで待つことにしました。しぼりに絞って300枚くらいなんですもん…。せめて200枚くらいにはしないと。


そしてにわか幕末は倒幕派の旅、二日目の萩の探検開始です。
宿は朝食なしの名目なのですが、フリーでおにぎり、お味噌汁、おしんこうなどがいただけるので十分ですよう。まず食う。
前日からおおよその距離感がつかめたので、この日は最初から歩きで向かうことに。メインは萩博物館ですが、歩いて行くとみちみち旧獄舎跡があるはずなので地図をみいみい、にわか雨を心配しながら西へ向かいます。
ええっとええっとこの辺りのはずなんだが、わからない。近くにいた整備屋風のおにいちゃん二人連れに場所を聞くも、一瞬、は?て感じ。ややたってから一人の方が、ああ、多分あれだ、と横道を教えてくださる。行くと、ここ、これかあ!と驚くほど民家の隙間の小さなスペースに石碑と解説が。
野山獄、岩倉獄の跡が道をはさんで向かい合っています。ここはかつて松陰が投獄され、のちにしばし高杉も入れられた、藩の獄舎でした。

noyamagoku.jpg

写真はクリックで大きくなりますよ

松陰が渡航計画の失敗の後入れられたのは上級武士用の野山獄、対して従者の金子は庶民用の岩倉獄でした。
野山獄では中で書物を読めたりと獄舎暮らしながら軟禁程度の規律だったようですが岩倉獄はそうもいかず、やがて金子は体を壊し、獄中死します。本当に道をはさんで真向かい、大声で叫べば声も届きそうな距離なのに、結局は自分につきあわせたせいで金子を死なせてしまったと松陰は大変なショックだったと思われます。泣くよ、俺らも金子くんを思って泣きました。初日から金子ブームが続いています。
ちなみに後日調べていて知ったのですが、もともとここは岩倉家、野山家という家の住居だったそうです。しかし両家は常日頃から大変に折り合いが悪く、ある日岩倉家家人が酒に酔った勢いで野山家に押し入り殺傷沙汰になり、その責任で両家は没収されて獄舎になったのだそうです。
なんかすごい話だ…。史実ってフィクションでは想像もできないようなことが起こるのですね。

               ※

それから萩博物館へ向かいます。なんということもない街中を結構歩き、やがてかなり観光を意識した遊歩道のようなところを行くと、間もなく博物館が見えてきました。おそらく復元したと思われる、大きな武家屋敷風の建物がぴかぴかです。
中に入り、収蔵品や模型などを見てまわります。色々な武具や道具、資料などが展示を眺めながら進んでいくと、途中で小学生の社会科見学とぶちあたりました。先生の詳しい説明が面白そうなので、一緒になって座りこんで聞きたい衝動にかられましたが我慢(笑)
それからおたのしみの高杉コーナーへ行くと、ありました、事前に目をつけていた幼少時の稽古用の胴着が!
ちっさー、ちっさー、とかなり萌える。
手紙の類の資料もいろいろありました。
高杉が地方を回っているときにつけていた『試撃行日譜』も!!予想したより小さくて、いわゆる手帳サイズ。まあ懐に入れていたのだから当然ですよね。

また高杉は自分がもらった手紙は読んだらすぐ焼いてしまったので、歴史に残る人たちからの手紙などはほとんど残存していないそうなのですが、この人、松陰先生からもらったものだけは大事に残してやがるんですよ。なんてはっきりしてるんだ。
一方高杉からもらった手紙は友人連が大事にしていたようで、結構たくさん残っています。なんか一方通行の愛を感じる(爆笑)
そしてこれらの文章を見ると、高杉って字が、あんまり…げふげふ。松陰先生はやけに右肩あがりですが神経質なきっちりした字なので読みやすいのですが、高杉のは行書とか草書とかいう以前に人に読みやすくという意識ないだろお前、みたいな。自分の気のおもむくままに書き連ねているのがありありとわかります。そして長い。
散々あーでもないこーでもないとグチを書き連ねた揚句、最後の方では紙面が足りなくなって行間がぎゅうぎゅうになって署名もむりやり詰め込んでいます。
こんなグチ手紙をもらって大事に取っておくほど嬉しかったのか、友人達よ…。嬉しかったんだろうなあ、甘えられているようで。

対して生涯ほんのわずかの間しか一緒にはいなかった妻あての手紙は短めです。それなりの無難な長さの紙に、高杉にしてはかなり丁寧な字でしたためられています。
女遊びも激しく、様々な活動やトラブルもあってまともな夫としての役割をほとんど果たしてやっていないことをかなり申し訳なく思って気を使っていたのでしょうね。
しかし最後は友人へのものとは違って紙の長さをもてあまし、「もう書くことないYO!この空間どうやって埋めればいいの!!」とかなり苦闘した痕跡が(笑)
行間がどんどん広くなり、署名のスペースも無駄に大きくて、ばればれですがな。

そして博物コーナーはスルーするつもりが、暇そうだった学芸員のおいちゃんにがっちりキャッチされて足をとめることに。しかしパンフに載っていた大王イカの想像を絶するでかさに普通に驚愕。すごいよ、物語にでてくる、船乗りが航海中に遭遇するあれですよ!フィクションじゃなくて、あれって実在に基づいたエピソードだったのね…と本気でびびりました。
そして学芸員さんはさらに虫の生態から大砲の解説までもりもりしてくれて大変ためになりました。
件の当時日本で作った大砲は、その頃すでに外国に略奪されてお持ち帰りされおり、国内にあったものも後に溶かされてしまったのでほぼ現存していなかったのですが、つい最近外国の美術館で転がっていたのが発見され関係者の間でかなり大騒ぎになったのです。
これが昨年下関で行われた坂本・高杉イベントのときに一次返還されていたというのは知っていましたが、その後萩にも来ていたとは知りませんでした。タイミングよく現物を見れてラッキー。
表面に龍が掘りこんであったりと妙に美しい砲でした。でも飛距離がなかったんだよね。
当時の海外の大砲は内部構造がすでに現在も銃火器の基本となっている螺旋構造でしたが、二本は前方から弾詰めをする直線型でした。とうぜん飛ばず歯が立ちません。
しかしほぼ知識が皆無の状態から知識を得て、見よう見まねで作り上げた職人のガッツには頭が下がる思いです。

taihou.jpg


大砲の写真、載せてもいいのかなあ、ともためらったのですが、そもそも学芸員さんが写真撮ってもいいって言ったんだし。略奪品の一次返還だからいまのうちってことでしょうか。
外国ではこれはガラクタ扱いだから返してくれてもいいんじゃないかと思うのですが、世界の芸術品を略奪で多数キープしているお国柄、ひとつ返すと貴重なものまで全部返さないといけなくなるので無理なんですって。そうだよね、○英博物館とか、からっぽになっちまうよ、ハハハハ!ちょっとむかつきますな!

なんだか長くなりましたので萩二日目日記は分けます。またのちほど~。


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